原始・古代 | 2・3世紀ごろ | すでに水稲文化を持つ人々が定住していた! ↑現存している三輪遺跡などから |
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5・6世紀ごろ | 地附山(ぢづきやま)に地附山古墳・上池ノ平古墳群が築かれる | |
646年~ | 大化改新
科野国成立、三輪地区は 水内評(みのちごおり、みぬちごおり)に属していた。 |
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大宝時代 (701年~) |
全国的に地方行政組織が整備される 科野国→信濃国 水内評→水内郡 |
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聖武天皇年代 (740年~) |
水内郡→芋井郷 | |
中世 | 中世末期・ 戦国 |
三輪地区を含む善光寺平をめぐって、武田・上杉の衝突があった後 武田領となる。 信玄の没後は上杉領に。 |
近世 | 江戸時代 (1600年代) |
真田家十万石の所領となって 松代藩に支配されるようになる。 ◎宇木村、﨤目村、三輪村などの形成 |
1847年 | 善光寺平一帯に大地震が起こる | |
近代 | 1871年 | 廃藩置県により、松代藩→松代県→長野県に |
1879年 | 水内郡が上下に分かれ、三輪地区は上水内郡に属する | |
1885年~89年 | 連合戸長役場制が実施され、三輪村の圓通寺に役場が置かれる。連合戸長役場の廃止後、三輪村役場になった | |
1923年7月1日 | 三輪村は芳田町、芹田村、古牧村とともに 長野市に編入合併 |